ドアースハイムのワイン畑の歴史 シュロスグート・ディールの所有するワイン畑のうち、最も優れた畑は、ライエン城南東のドアースハイムにあります。ドアースハイムの畑名が初めて登場する文献は、「ライン地域の伯爵家の最古の領地台帳」で、この台帳には、ドアースハイムの畑である「リーナ」や「ブルクベルク」の名が登場します。しかし、これらの畑名や畑の境界が公に定められたのは、1796年にフランスがライン左岸を占領した後のことです。ライエン城とドアースハイムは当時フランスのリン=モゼレ(ライン=モーゼル)県に属していました。 ドアースハイムの最初の畑分布図はフランスの測量技師スブレヴィレにより、1819年に作成されました。また、ナーエ河北部のライン左岸地域は、1815年のウイーン会議の時点ではプロイセン領と定められていました。 1857年8月25日、ベルリンの王室政府の条令により、ラインラント地方では、畑が統一基準によって測量し直され、分布図が改訂されました。この1860年発行のワイン畑分布図は、今日の分布図とほとんど変わりません。1891年、ストロムベルクの王室裁判所は、ドアースハイムの土地台帳の整備を始めると布告し、その事業は1899年に終了しました。1930年代にはドアースハイムにおいて、大規模な畑の整備統合が行われました。そして1937年には、新たな地籍図が発行されました。
ゴールドロッホこの優れたワイン畑が初めて文献に登場するのは1756年で、当時は単に「ロッホ」と呼ばれていました。1811年には「ロッホベルク」という名も登場します。「ゴールドロッホ」の名は1819年に土地台帳が採用後、使われるようになりました。その名の由来には、この場所で実際に金が発掘された、あるいは、発掘されたらしいという説、かつてドアースハイムにおいて、金鉱を探していた時、代わりに銅鉱が見つかったため、それをアイロニカルに表現したという説、この優れた土壌から得られるワインによって、醸造家は多くの金を儲けることができると言われていたという説、以上3つの説があります。 土壌は、古生代ペルム紀初期の赤底統礫岩からなり、岩石とその風化礫が混在する粘土層に覆われています。シュロスグート・ディールは創業時よりゴールドロッホを所有していました。この畑は、何世代にもわたる、新規購入、交換により、今日、4,5ヘクタールを所有するに至っています。シュロスグート・ディールはこの単一畑を最も多く所有しています。
ブルクベルク最初にブルクベルクの名が文献に登場するのは1400年のことです。ジョージ・フォン=ライエンが「ドアースハイムのブルクベルクというベルク(山)を受領した」という一文があり、今日の単一畑ブルクベルクのことだと言われています。このベルク(山)の頂きには、ブルク(城)や、要塞に相当するものがなかったため、畑名は、東側の高さ20メートルに及ぶ岩壁のことを意味するものと思われます。しかし、別の説もあります。1400年に記録された「ベルク」は、今日のワイン畑、ブルクベルクよりも、より大きな土地を指していたはずなのです。また、今日のゴールドロッホも、ブルクベルクの一部だったと考えられています。つまり、ドアースハイムの山々の大部分は、かつてブルクベルクと呼ばれており、畑名の由来は、ライエン城(ブルク)の山(ベルク)だとも考えられるわけです。 1815年以後、ブルクベルクはプロイセン王国の所有となりました。その後、ミュンスター=ザルムスハイムのクリュ−ガ−醸造所が公けのオークションにて、「ワイン畑に適した土地」と言われているブルクベルクの畑の全てを購入しました。クリューガーは、1850年から、畑の東向き斜面の中腹に、ケラーのある醸造所を建てました。醸造所の建物は、その後火災に遭い、今日もケラーの形跡を見ることができます。 1860年発行の畑分布図によると、ブルクベルクの畑はトロルバッハ(トロル河)にまで及んでいます。後に、この河沿いの畑の一部は道路拡張に利用されました。1927年、ニーダーハウゼン国立醸造所がブルクベルクの大部分を入手、1990年代になってようやく、シュロスグート・ディールの所有となり、現在では、この優れた畑の大半に当たる1,8ヘクタールを所有しています。
ピッターメンヒェン ドアースハイムにあるピッターメンヒェンというワイン畑は、ゴールドロッホの西側に位置し、ドアースハイムの農地の境界、ライエン城の手前にまで広がっています。この変わった名前の畑は、1860年発行のワイン畑分布図に初めて登場します。この畑名はライン地域のワイン畑において、同じものがなく、また名前の由来も不明なので、それを推測することは非常に困難です。しかし、多くのワイン畑には、人名が隠されていたりしますので、「ピッターメンヒェン」も、そのようにして生まれた名前かもしれません。あるいは、アルブスとも呼ばれた銀貨の名前からきたとも考えられます。トリアーの大司教は、16世紀末、この銀貨に刻印を施させました。表側には、髭をたくわえ、鍵を手にした聖ペトロが刻まれています。32ピッターメンヒェンは1グルデン相当の価値がありました。このことからも、ピッターメンヒェンと呼ばれる畑から生まれるワインには、高い価値があったものと推測することができます。 シュロスグート・ディールは、この優れたワイン畑であるピッターメンヒェンに、1ヘクタ−ルの畑を所有しています。隣接するゴールドロッホと異なり、ピッターメンヒェンの土壌は粘板岩と珪岩が豊かです。
|